「安全安心とは」の項で述べたように、安全安心は用語の使われ方が現在でも人により異なっている。そのために「安全安心とは」では、主に現在の使われ方を整理し、敢えて定義することはせず、その捉え方を2
例提示するに留めた。食の安全安心を定義することは当然無理がある。
にもかかわらずこの項を設けたのは、食の安全安心という表現が特徴的なためである。というのは、安全安心が話題にされるのは食の分野だけではない。「防災・防犯等の分野での安心」で説明したように、防災、防犯、国防、感染症対策、原子力発電、交通機関など数多い。ところが、これらの分野では防災(災害)の安全安心とか防犯(犯罪)の安全安心と呼ばれることはない。国民の安全安心とか生活の安全安心と呼ばれている。何故食品分野だけで食の安全安心と言われることが多いのか。その理由を探ることが、食の安全安心を理解するヒントを与えてくれると信じられるからである。
最初の指摘するべきことは、食べることを人が単に物質を摂取する行為と捉えられることが多いけれども、実際には心理的要素も強いことである。食品といえども人体にとっては異物であり、にも係わらずそれを毎日大量に体内に摂取する。これを忌避すると生命を維持することができないから食べるのであるが、一方で体内に異物を摂取するのであるから潜在的な心理的抵抗が存在してしかるべきである。それが顕在化する代表的な例は、宗教が係わる場合である。たとえば信者は宗教上許されない食品を頑なに拒否する。
安全性の高さを説いても無駄である。心理的抵抗を表面化させる要素は宗教に限られるのではなく、信念、倫理・道徳、思想・信条などもある。多くの場合は拒否するとまでいかないけれども心の痛みを伴う。これは他分野では見られない大きな特徴である。
次に、食品による人への危害は体内で起きることがある。
そして引き起こされる危害は要因により多様である。病気の数だけあると言うと言い過ぎであるが、心配すべき材料は星の数ほどある。防災・防犯などでは専ら外傷である。
食品による人体への危害は継続摂取で引き起こされる慢性型が多いことも大きな特徴である。食の安全安心で問題になるのは、農薬や食品添加物あるいは汚染物質であり、新しくは組換え食品や体細胞クローン動物由来食品の場合である。これらは継続摂取による危害が懸念されている。慢性型の危害に対する懸念は、心配しだすと増幅する。なお、食品分野には急性型の危害もあり、その代表例が食中毒である。この場合、食中毒に関して安全安心が問題にされることはなく、行政は国民が危害を被ることを回避するように積極的に注意喚起している。
防災・防犯などの分野でも個人の意思で危害を回避することは容易ではないが、食の分野ではもっと困難という事情もある。特に、慢性毒性に係わる化学物質などの対策は容易ではない。
注意すればある程度回避できる食中毒では安全安心が話題にならず、食品添加物や汚染物質などの化学物質で安全安心が問題になることに表れている。
最後に指摘しておくべきことに、食の安全安心は食品の安全性だけでなく、食料資源の安定供給に対しても使われることがある。これは唐突かもしれないが、実は安全安心の新聞における初出は「ウルグアイ・ラウンド農業合意」に関することで、つまり食の安全保障に係わる安心であった。その使用例は少ないが、底流にあることは心に留めておく必要がある。
以上のような事情を背景に、食の安全安心という呼び方が定着したと思われる。繰り返すと、安全安心に関し食品分野にはいくつかの特別な事情がある。
(2013年11月作成) |