食経験による安全性の担保は、科学的根拠による安全性確認に比べると不確かである。「昔から食べてきたから安全」という説明は人々に受け入れられ易く安心を与えるけれども、論理的な説明とは言い難い。つまり、食経験は安全よりも安心に近い。
これに関連して、安全性評価における食経験の活用は、丸ごと食品において重視されるのは妥当であるが、食品成分においては参考に留めるのが望ましい。
通常の食品、特にある程度以上の量を消費されている食品の安全性試験法は確立していない。科学技術は単一成分の影響を検知することには長けているが、複合成分の影響を検知することには弱みがある。案外知られていないことであるが、米も小麦も肉も魚も安全性試験は実施されていない。食経験豊富なこれらの食品は安全性試験のニーズもないし、したくても確立した安全性試験方法がないからである。食経験が豊富であっても、急性毒性ですら頻度が低くかつ症状が重篤でない場合は見落とされることが多い。慢性毒性や生殖毒性などは、多くの場合看過されてしまう。また、現実の問題として、
通常食品の場合はリスクが確認できても、禁止することは難しい。たとえば、小麦、卵、牛乳などのアレルギー食品は遺伝子組換え食品の安全性評価基準を適用するとアレルギー性を理由に禁止
となる。それでは都合が悪いので、義務表示を課すだけで済ませている。また、発がん性物質を含む食品も少なくない。発がん性物質にはADI(一日摂取許容量)を設定しないことになっているので、禁止されてしかるべきであるが、これも現実的でないので、経過観察となっている
。
一方、食品成分では安全性試験方法が確立している。食品分野においても食品添加物、農薬、動物医薬品などに適用されてきた。食品成分の安全性評価に食経験を活用する必要性は低い。また、安全性情報(安全性試験データや危害情報)
が蓄積されてきている。ここで指摘しておくべきことに、問題のある安全性情報がないことを安全であることの根拠とされることも多いけれども、それは食経験が豊富な食品成分に限られる。消費実態のないあるいは低い食品成分では、安全性試験が十分に実施されていないし、危害情報が少ないのは当然である。
(2015年6月作成) |