リスク認知とは、「感情と思考の科学事典」によれば「人々がリスクに対してどのように認識しているか、その認識をリスク認知という」と説明している。これがリスク認知の一般的な説明である。リスク認知が問題にされたのは、食品添加物・農薬から組換え食品・BSEなどにおける食品安全施策において、科学的根拠に基づく合理的と考えられる施策がしばしば消費者からの異議に直面し、施策が歪められると関係者に感じられたことが背景にある。規制当局・専門家がその理由を探ろうとして導入した用語であり、本サイトのテーマである食の安全安心を象徴する用語でもある。リスク認知は、食品安全分野だけで使用されている用語ではなく、むしろ、原子力発電や自動車運転の安全分野で広く使用されている。
リスク認知はリスクに関する認知という意味であるが、食品安全分野の専門家はリスク認知の用語をそのまま使用することが多い。リスク認知を消費者の偏った認知の仕方と捉え、それをもたらす要因の分析に集中しているので、不都合がないのかもしれない。ところが、上述の原子力発電や自動車運転の分野では、具体論になるとしばしば客観的リスクと主観的リスクを対象にする。そのうえで客観的リスクと主観的リスクの差をリスク認知バイアスなどと呼んでいる。このリスク認知バイアスをリスク認知と捉える方が、リスク認知のままで理解するよりも、考察が具体的になると信じられる。
ただし、上で述べた主観的リスクと客観的リスクについて、その用語にはどちらも問題がある。通常は消費者の認知するのが主観的リスクで、規制当局・専門家の認知するのは客観的リスクであることを前提にしている。このような場合もあるとしても、一般的とはいえない。
主観的リスクとは、個人が認知するリスクである。関連サイトの「安心は民意でもある」で説明してあるように、安全安心で問題にされる消費者は個人ではなく集団(国民)なので、集団(国民)が認知する平均的なリスクを主観的リスクと呼んでいることになる。言葉の意味からも無理がある。主観的リスクと呼ぶのが相応しいのは、個人が認知するリスクを対象にする時である。主観的リスクは認知リスクと言い換えるのが妥当である。認知リスクには、消費者の認知リスクのこともあるが、事業者や規制当局の認知リスクのこともある。
客観的リスクについて、これが規制当局・専門家が認知するリスクとみなすのは、些か手前味噌である。客観的リスクというと、真のリスクを反映しているように聞こえるけれども、言うまでもなく客観的リスクと真のリスクは同じではない。真のリスクは神のみぞ知る領域であり、誰も把握できない。人は科学的試験や統計データでこれに迫ろうとする。これにより得られるのは科学的リスクあるいは統計的リスクである。科学的リスクや統計的リスクは誤差を持つ。科学的リスクとか統計的リスクを客観的リスクと言い換える場合は、真のリスクと混同しないような配慮が必要である。
付け加えると、規制当局が科学的根拠だけで施策を講じるわけではないことは、科学的事実に基づいて結論を導くリスク評価機関(食品安全委員会)には行政権限が付与されていないのに対し、リスク評価機関の結論に束縛されないリスク管理機関
に行政権限が付与されていることからも明らかである。
要するに、食品安全に係わる全てのステークホルダーが、すなわち消費者、事業者(農業者、食品製造業者、食品販売業者、外食産業事業者、食品関連事業者)、規制当局、専門家の全てが、各々の認知リスクを持ち、科学的リスクや統計的リスクとの差であるリスク認知バイアスを示すのである。それぞれが示すリスク認知バイアスがどのように違うのか、何故違うのかを分析・解明することこそが大切なのであって、消費者の問題に矮小化してきたところに、従来のリスク認知論の限界があった。
(2015年6月作成)
作成:柳本正勝 |