「過剰な安心を背景にした安全安心」

 安心していると安全性規制が緩和される要因

 
トップページに戻る

 

前ページで、従来は過剰な不安を背景にした安全安心の問題であったが、今日的には過剰な不安を背景にした安全安心の問題もあることを指摘した。そこで、人々が食品の安全問題に安心していると、安全性規制が緩められてしまう要因について述べる。

  結論からいうと、要因として@経済活動の自由、A食品特有の事情、B非完全障壁の問題を挙げることができる。以下にそれを順に概説する。

  要因を3つ挙げたが、最も重要な要因は経済活動の自由である(営業の自由とも呼ばれる)。社会において経済振興は大変重要である。経済の不振は社会全体の停滞を招くので、政治は施策の中心課題においている。経済振興の前提には、自由な 経済活動を保証することがある。規制はできるだけ少ない方が良いのである。規制撤廃を主張する政治家が選挙において国民の支持を得ている。規制撤廃は当然食品分野にも及ぶ。問題は食品の安全性確保も規制に外ならないことである。

  食品の安全性分野で経済活動の自由を持ち出すと、非常識の誹りを免れない。とはいえ、食品分野も経済活動と無縁ではない。食品安全の国際規格を策定しているCODEXが食品安全施策のバイブルのようになったのは、WTOが調停の際に用いる規格の策定機関に指定されてからである。それまでは、専門家のサロンだったという。WTOはいうまでもなく自由な経済活動(貿易)を推進する国際機関である。CODEXが科学的根拠に徹しているのは、経済活動の自由に基づく施策に歯止めをかけることのできる唯一の根拠のためと考えてよい。

  食品特有の事情というのは、食品は法規制の始まる前から、将に人類発祥の時から摂取されてきたことに由来する。法律は制定前からの実態を尊重するのが原則である。また、個人の食事を規制することは最小限でなくてはならない。食品衛生法第5条で規制の対象を「販売の用に供する食品」に限っているのも故なしとしない。行政も「日本人の食事摂取基準」のように参考に提示することは裁量で 気配りなしに実施できるが、安全性規制であっても禁止するとか条件を課すためには合理的な根拠が必要となる。

  また、食料供給の欠乏はそれ自体が国民の健康への重大な危害要因である。量的でなく質的にも十分な食料を国民に提供することは、食品分野における行政の目標であり義務でもある。幸い現在の日本は十分な食料を確保できているが、栄養バランスが不十分な食料を供給できなかったのは、遠い昔のことではない。現在でも安全性規制と食料確保についてぎりぎりの調整を迫られている国も少なくない。

  3つ目の非完全障壁の問題は、経済活動の自由と密接に係わっているが、独自の課題も抱えている。国際化の進展を背景に、自国の食品安全行政も国際的な施策との整合性が求められるようになっている。そうしないと、食品安全施策を口実に海外の農産物や食品の輸入を閉め出すことが出来るからである。この問題は、遺伝子組換え食品やBSEでの全頭検査などで問題となった。科学的根拠を示すか、国民の忌避感情が取り分け強い事情を説明できなければ、拒否し続けることは困難である。一方で、国際社会における欧米諸国の発言力は強いので、油断していると彼らの都合で問題のある施策を迫られる可能性がある。

  主観的には普通に安心しているだけであっても、客観的には過剰な安心と呼べるのは、これらの要因による安全性規制緩和の力が働いているためである。

 

(2015年6月作成)