食品による人の体への危害の分類の仕方は多数あるが、筆者は見える危害と見えない危害に大別すること を提案している。これを提案するのは、食の安全・安心との係わりで両者は明確に異なるのに、これを区別しないで議論する例が多いからである。 見えない危害とは、食経験が十分にあっても通常の生活で人々が認識することは困難な危害で 、安全性試験や疫学調査を実施してはじめてその存在を推定できる危害である。前項で説明した見える危害を確定的危害、見えない危害を確率的危害と呼ぶことができる。食の安全・安心で話題になるのは、主に見えない危害の要因である。 前項でも述べたように、見えない危害とは、@顕著な症状が、A頻度高く、 B直ぐに発現する、のどれか一つまたは複数が当てはまらない危害である。どれか一つでも当てはまらないと、その危害は人々に認識されない。つまり、見えない。 @の顕著な症状に関し、軽い下痢、吐き気のように症状が軽い危害では注目されない。甚だしきは本人も自覚しない。Aの頻度高くに関し、頻度が低い場合は、調査体制が整備された社会でないと確認できない。 頻度が低い例の多くは、発症者の体質として片付けられ勝ちである。被害者は社会的身体的に弱者のことも多いので、被害者やその周辺が恥じて隠すこともある。Bの直ぐに発現するに関し、長期間摂取の後に発症する 例では、人々はその因果関係を認識できない。たとえば60歳になってがんになった人は、がんの原因が食品だったかどうかを推定するのは困難である。ましてどの食品が原因になったかは、想像することもできない。 代表的な見えない危害は、化学物質の継続的摂取による危害と放射線による継続的暴露による危害である。 化学物質の継続的摂取による健康影響が認識されるようになったのは、毒性試験の進歩によるところが大きい。特に薬分野での副作用対策とその試験方法の確立に牽引された。その結果、慢性毒性試験、繁殖試験、発がん性試験あるいは催奇形性試験が食品分野にも導入された。 疫学調査の進歩の貢献も大きい。毒性試験では最も重要な人を対象にした試験が困難である。疫学調査は、この問題を埋める役割を果たしている。人々の健康志向の高まりにより、大規模な疫学調査が容易となった。また、医学の進歩により、これまで看過されてきた症状が認識されるようになり、さらに症状と食品との因果関係にも目が向けられるようになった。その背景には、病気と食物の関係に目を光らせている病院栄養士の存在もある。 生活習慣病対策の普及は、ハザードの概念に新しい視点を加えつつある。生活習慣病では外来の化学物質よりも食品に含まれる栄養素の過剰摂取に関心がある。その結果、摂取が必須である栄養素 すらハザードにもなるとして問題にするようになった。 見えない危害は、情報として知るのみで身近な体験を伴わない。関心を持たなければ存在しないのと同じであり、心配しだすとそれを否定できる情報 に出会わないかぎり心配が続く。食の安全・安心の対象になり易い所以である。
本サイトのストーリーから外れるが、
どうしても言及しておきたいことがある。食品による窒息事故である。食品が原因である窒息事故の死者は2010年で4,869人に達している。4,863人の交通事故による死者を上回ったので注目された。ところが、食品による窒息事故はここでいう見えない危害には含まれない。もちろん見える危害ではない。いわば、見ようとしない危害である。2010年における食中毒の死者はゼロなのだから、その圧倒的に多い死者数からみて、
食品安全関係者も注視するべき課題となっている。 |