トップページへ − おいしさ − 食の安全・安心が問題にされると、食品では安全性が絶対的に重要なように語られる。確かに非常に重要な課題であるが、全ての要素に対して最優先かとなると、必ずしもそうでないケースも目立つ。おいしさを最後に取り上げるが、多くの人が日常生活の中ではこの要素を重視している。 おいしさを重視するというと美食家・贅沢な料理というイメージが残るが、都会の料亭や高級レストラン食事のできる人が羨望の目で見られていた時代の見方である。当時は旨い食事のできることが、お金持ちの秘め事であった。現在では多くの人がそれなりおいしい食事を享受できる時代となっている 。 おいしさを重視することを現在でもネガティブに捉えられることがある。また、おいしさを安全と対立的に捉えられることもある。「おいしいものには毒がある」は、国立健康栄養研の部長から聞いた言葉であるが、この見解を端的に語っている。しかしながら、この言葉は上記羨望の裏返しと考えられる。おいしいことと安全であることは二律背反するのではなく、充分に両立する。どちらかというと、両者のベクトルの方向は似ている。人の体の仕組みもそうなっている。食べたものが危険かどうかを察知するのも、食べた物が好ましいという 快情動を発するのも、どちらも大脳辺縁系にある扁桃体である。そもそも危険なものは、本来的においしくない。 おいしくないと売れない。これは食品事業者にとって常識である。だから、食品事業者はおしいものを作ろうとする。食品事業者にとっての食品の品質とは、おいしさと安全性が双璧である。食品製造において、おいしい製品を作ることと安全な製品にすることは品質管理によって達成できるものであり、両者には共通点が多い。製造の場においても両者は対立するものではない。 食品事業者の中には売らんがためにおいしさを優先し、安全性を軽視する者も確かにいる。このことは否定しないが、確実に減ってきている。「価格」の項で指摘したように、 現在では安全性を軽視するのは、価格競争の末の場合が多い。 家庭での食事においしさを求めている人は、食事を大切にしている人である。この人たちは、家計支出において食費の優先順位が高い。食事を大切にしている人は安全性や栄養性にも関心を持つので、そのために必要な経費を負担する。食費にお金を使っているのに問題のある人がいるとすれば、外食においしさを求め家庭での食事を 軽視している人である。 安全性や栄養性を少し気にしながら、食事をおいしく楽しむ人と、安全性第一に徹した食事をしている人では、前者の人の方が豊かな食生活であると信じられる。人は心の動物 だから、食事にも心の充足が大切である。 参考までに、おいしさを人の心の充足と捉えその重要性を主張する考え方を「食の郷/おいしさのスタジオ」で紹介しているので、ご覧ください。 |