おいしさとは人の感情である


 食べたらおいしかった。おいしさとは単純である。しかし、改めて「おいしさとは何か」と聞かれると、案外返答に困る代物である。「分かっているが、筆舌に尽くし難い」の代表的な例の一つであろう。

 筆者は、おいしさとは、「人が食べ物を摂取した時に起きる好ましい感情であり、食事空間にも影響される」と定義している。この定義の特徴は、おいしさとは、食べ物の性質ではなく、人の感情としている点にある。また、感覚ではなく感情としている点にも注目願いたい。そして、人の感情なので、食べる時の人の生理的・心理的条件はもちろん、食事空間にも影響されるのである。

 おいしさが人の感情であるという見解は、少しづつ支持されるようになっていると思うが、おいしさを食べ物の性質とする見解が現在でも優勢である。その代表的な見解は、JISの官能検査用語Z8144に定義されているように、おいしさとは、「食品を摂取したとき、快い感覚を引き起こす性質」である。このような捉え方は明らかに一面的である。同じ食べ物を、ある人はおいしいと言い、別の人はまずいと言うことがある事実を説明できない。同じ人が同じ食べ物を食べても、先週食べた時はおいしかったが、昨日食べた時はそれほどでもなかった、という事実も説明できない。

 また、おいしさは感覚で決まるような気がするかもしれない。確かに感覚は重要な役割を果たしている。しかし、落胆している時、体調が悪い時、食べ過ぎた時、どんなに素晴らしい味覚の食べ物 でも、おいしくないはずである。この事実は、おいしさが感覚で決定されるものでないことを示している。

 以上、おいしさを概説した。おいしいものを食べて普通に楽しい食事ができれば良いという人は、このような面倒な議論は不用かもしれない。しかし、グルメを自称する人には、この程度のことは知って欲しい。特に、料理を作ったり、食品を製造したり、食品を販売しようとするプロは、”おいしさ”をきちんと理解することは不可欠である。お客はおいしくないと金を払ってくれないのだから。

 最後に、おいしさは家庭での食事において最も重要であることを指摘しておく。しばしば、高級レストランや料亭での食事のおいしさが話題にされる。おいしさとは特別なものではなく、普段の食事でのおいしさが大切である。レストランでの食事は大切にするが平素の食事はお腹を満たすだけでは、本末転倒である。 おいしさは贅沢ではなく、疲れた人の心を癒す大切な役割も持っている。