おふくろの味。これが究極の味と信じている人が少なくない。どちらかといえば、一世代前の人が多いように思うし、地方で育って都会に暮らしている人に多いように思う。
おふくろの味は、食味の観点からでは説明 が付かない。かつての農家を想定すると、まず食材は立派なものではなかった。調理道具や器具も粗末なものであった。なによりも当時の主婦は料理方法も見よう見まねで覚えただけであるし、調理 をするのに十分な時間も確保できなかった。優れた食味の料理だったはずはないのである。
おふくろの味と呼ばれる料理がおいしい理由の一つは、「刷り込み」による嗜好の形成であろう。特に子供の頃の刷り込みは、大人になってからの「学習」による嗜好よりも強い効果がある。したがって、大人になってから遭遇した都会の料理は、例え食味的には勝っていても、おふくろの味を凌駕できない。
しかし、それだけで説明できるとは思えない。食べれば必ず好ましい嗜好が形成されるわけではない。おいしいと思って食べてこそである。いやいや食べた料理は、嫌悪学習となって好ましい嗜好は形成されない。したがって、おふくろの味は子供頃においしいと思って食べていた料理のはずである。上述のように優れているとは言えない食味の料理をおいしいと思ったのは、料理に母の「愛」を感じていたからと信じられる。一世代前の人の方がおふくろの味がおいしかったのは、困難な 条件の中で必死で育ててくれた母への感謝の気持ちが強かったからと考えている。
女性が社会で活躍できるようになり、専業主婦は優雅に子育てができるようになった。有史以来、平成の女性がいちばん幸せといわれているが、それ自体素晴らしいことである。ただ、このような時代に育つ子供たちにも、おふくろの味で母の愛を連想するようになって欲しいものである。