天ぷら
天ぷらの歴史
天ぷらは、ポルトガルから長崎に伝わったとされている。ところが、伝わった料理がどんなものであったのかはっきりしない。実は語源もはっきりしないのである。語源としては、寺を意味するテンプルなど天ぷらから類推されるポルトガル語が枚挙されているが、いずれも想像でしかない。江戸時代の料理書には「てんふらり」も登場するが、これと天ぷらとの関係も分かっていない。いろいろな情報を総合すると、伝わった料理も語源もはっきりしないのは名前の転換があったためと
想像している。名前の由来となった、ポルトガルから来た料理は廃れた。転換を受けたのは、その後に中国から伝わった普茶料理の一つ「油じ」である。そう考えると、「油じ」が天ぷらに似ていて、ポルトガル料理には天ぷらを類推させる料理がない理由が理解できる。実は天ぷらにはもう一つ
ある。さつま揚げである。関西以西には、さつま揚げを天ぷらと呼ぶところがたくさんある。宇和島のてんぷら(じゃこてん)も同系列といわれている。このてんぷらも名前の転換
を受けたとも考えられるが、宇和島のてんぷらがホルトガルから来た天ぷらの語源となった料理であった可能性がある。少なくとも、さつま揚げの方が天ぷらよりもポルトガルから伝わった料理に近いと考えるのが自然である。
いずれにしても現在の天ぷらに繋がる料理は長崎で原型ができた。長崎の天ぷらが大坂に伝わる。大坂で普及した天ぷらには衣に味が付いており、ツユは付いていなかった。 それが江戸に伝わってから、いつの間にか天ぷらにツユが付くようになり、衣から味付けがなくなった。この新しい天ぷらが江戸町民に受け入れられ、爆発的に普及する。
江戸時代には天ぷらは屋台で引っ掛ける庶民の食べ物だったが、明治以降次第に座敷で出されるようになり高級料理になっていく。
なお、何時のことかはっきりしないが、少量の油で揚げていたはずの天ぷらが、大量の油で揚げるように変わる。このような油料理は世界的にも珍しいという。これにより、瞬時に外部を加熱変性させてうまみを逃がさないようにするとともに、衣を淡い色に抑え、ネタを過熱しないことを可能にした 現在の天ぷらができあがった。
変化が語る日本人の嗜好
天ぷらにツユが付いてから爆発的に普及したことは、日本人は油料理にも水気を求めていることが分かる。天ぷらの命はカラッとした歯触りの衣とされているが、日本人の多くは天丼のような汁をたっぷり含んだ衣の方が好きではないだろうか。
衣から味がなくなり、ネタを過熱しないようにすることで、ネタの味が活きるようになった。大量の油で揚げるようになった変化は、素材の味を活かすために改良を重ねた努力の結果であろう。