すき焼きの歴史
すき焼きは嬉しいことに、日本で生まれた。語源は江戸時代にあった鋤焼である。ただ、鋤焼には、江戸時代の料理本では煮物として記述された例がない。「料理早指南」でも、”雁・鴨などの鳥類を鋤のうえで焼く”となっている。これが”鋤焼は
肉を鉄板で焼く料理”という説の根拠となっている。しかし、同じような料理だったと考えられる貝焼き、鍋焼き、杉焼きは、「料理物語」でも煮物として登場する。したがって、鋤焼には煮物的な変法もあったと考えられる。
文明開化の時代になると、すき焼きが突然のように現れて、和風牛肉料理として登場する。在来の料理で牛肉料理に変貌できたのはすき焼きだけである。一方で、幕末にあったというももんじ屋で出されていた料理の肉が鹿や猪からが牛に代わったと 推定することができる。ももんじ屋の鹿肉などの肉は江戸時代の料理本や「守偵漫稿」などから推定すると、既に薄くスライスされ、ねぎも添えられていた。砂糖もあった可能性が高い。 新たに登場したすき焼きの大きな変化は、具にこんにゃくや豆腐が加わったことである。注目するべきことは、牛肉料理なのに肉が増えずに具が増えた。しかも、肉は薄くスライスされたままで、砂糖も残された。
すき焼きの変化を分かり難くしている大きな理由に、すき焼きが関西で発展し、東京ではまず牛鍋として登場したことがある。牛鍋 のルーツは鋤焼ではなく恐らくはももんじ屋の鍋料理であろう。関西のすき焼きは鋤焼が変化したと推定されているが、考証はされていない。その後、東京の牛鍋は東京でも次第に2流のすき焼きとみなされるようになり、関東大震災を契機に廃れてしまう。関西からのすき焼きが席捲するが、名前は消えても その痕跡はある。東京のすき焼きではワリシタを使うところに、牛鍋時代の風習を残している。
すき焼きは、牛肉料理なのに砂糖を大量に使用し肉を長時間煮るので、一部から疑問が持たれている。砂糖の使用量を減らしたり肉を煮ると直ぐ食べるよう主張され ることがある。肉を変色させるだけで食べるシャブシャブも開発された。そして、我々の世代にはご馳走の代表であったすき焼きが、現在ではかつての輝きを失いつつある。
変化が語る日本人の嗜好
すき焼きは、高級牛肉料理としては常軌を逸している。牛肉をスライスすること、長時間煮ること、大量の具を用いることである。しかし、この
特徴は日本人の本音であり、だからこそ、唯一の和風牛肉料理になり得た。すき焼きを牛肉がおいしい料理ではなく、具がおいしい料理にしたのが成功の秘密と信じている。
すき焼きは本来焼き肉のような料理であるという主張が根強い。 しかし、これは”焼き”に引きずられた意見である。鍋焼きうどんはうどんを鍋で焼く料理ではなく、煮干しする料理である。焼き肉なら、韓国に完成された料理がある。鋤焼が焼き肉のような料理に変化したならば、文明開化の時代には普及しなかったと思われる。