醤油


醤油の歴史
 醤油のルーツも中国である。ただし、まず魚醤が東南アジアで発明され、これをヒントに穀醤すなわち大豆の醤が発明されたと考えられている。醤油という言葉のうち醤は中国からきたが、油は日本で付いた。油は
oilではなく、搾ったものという意味である。醤油という言葉が文献上確認できるのは16世紀末である。なお、味噌のページでも説明したように、中国 にある多様な大豆発酵食品が長年に亘って繰り返し伝来しているので、どれが現在の醤油のルーツになったかは、結局分からなくなっている。大宝令(701年)には「醤院の制」が記述されているので、醤に相当するものがあったことは確かであるが、これも具体的に何を指すか定かでない。筆者は、現在中部地方で利用されている溜まり 醤油の原型がルーツになったと考えている。ただし、現在のように澄んだ調味料でなく、濁りが多かったはずである。

 その後の醤油の変化として重要なものに、原料として小麦が加わったこと、醤油が清澄になったこと、火入れをするようになったことがある。この変化は、少なくともコンプラ瓶に入れられてオランダに輸出される 頃までには完了していた。醤油についての考証がこのように進んでいないのは、1254年に覚心和尚が持ち帰った金山寺味噌に由来する湯浅醤油が日本醤油の発明という誤った考えが根強いためである。湯浅醤油は、醤油の商業生産の始まりと理解するべきである。

 17世紀に薄口醤油が開発されて関西に根付くが、醤油の主流にはならなかった。ただし、濃口醤油も中国・韓国の醤油に比べると、色が薄く透明感がある。明治になって近代科学技術が導入されても、醤油はあまり変わらなかった。敢えて挙げると、食塩濃度が薄くなった。近年では、醤油がそのまま家庭で利用されるのではなく、酢醤油とかタレなどに加工されて利用されるようになった。

変化が語る日本人の嗜好
 原料として小麦が使用されていること、火入れされることは、醤油の香りを高めている。味だけでなく上品な香りを重視する表れと思われる。

 それよりも、日本の醤油は中国・韓国の醤油に比べると、色が薄く透き通っている。これは食材の特性を活かすためであろう。