清酒
清酒の歴史
清酒も中国から伝来した。現在の中国には清酒そっくりの酒はない。韓国にはマッコルリという濁酒があるが、これは同じルーツであろう。日本にも濁酒として伝来したはずである。縄文時代にも伝来したと考えられるが、定着したのは弥生時代であろう。
奈良時代になると清酒(すみざけ)が現れる。清酒の名前の由来で、濁酒に対して酒粕を除去した澄んだ酒のことである。清酒に関し最も不思議なのは、アルコールに弱い人が多い日本で、お酒がアルコール濃度
16%と醸造酒としては最高のアルコール濃度の酒になったことである。これを可能にしたのは3段仕込みの開発であるが、開発されたのは比較的早い時代である。室町時代になると、奈良の正歴寺で諸白が開発される。これは麹米も掛け米も白米を使用したことであるが、これによって今日の清酒の原型が完成した。清酒に火入れが行われるようになるのもこの頃である。江戸時代になると、寒仕込みが盛んになり、新酒が重宝される。新酒が重宝されるということは、古酒が廃れたことを意味する。なお、この頃に燗が普及する。明治時代になると科学技術が導入され、製造工程は大幅に改良される。その結果、作業が大幅に軽減化され、酒造家の最大の悩みであった腐造がなくなった。しかし、清酒そのものには、あまり変化が起きなかった。大きな変化は、清酒 の色が消えてあたかも水のようになったことである。戦後の食糧不足を契機に、別途醸造生産したアルコールを添加する三倍増醸酒が普及する。食糧事情が好転した後も、三倍増醸酒長く定着していた。近年は、精米歩合を
60%以下にしてフルーティな香りを付加した吟醸酒が普及しつつある。変化が語る日本人の嗜好
新酒が重宝されて古酒がなくなったこと、及び清酒から色が消えたことは、日本人が新鮮さを求めるためである。参考までに清酒から色が消えたのは、新しい清酒であることを演出するためである。
三倍増醸酒が長く定着したのは、すっきりした味を好むためと説明できる。
三倍増醸酒が開発される前から、清酒に焼酎を加えてすっきりした酒質にすることが行われていた。なお、熱燗を清酒の飲み方の特徴に挙げる向きもあるが、酒を温めるのは清酒だけではない。また、澄み酒にすることも、外国の醸造酒でみられる。