味噌


味噌の歴史
 味噌もルーツは中国である。味噌の語源は中国に古くからあった未醤であろう。しかし、味噌のルーツが未醤であるとはかぎらない。そもそも未醤が具体的にどのようなものであったか確かではない。ただし、中国にあった醤、未醤、鼓などの大豆発酵食品の うちどれかがルーツになったことは間違いない。かつては醤が有力とされていたが、鼓の可能性もある。また、味噌と醤油は別々に発展したとの見解もあるが、筆者は同じだと信じている。最も常識的なのは、中部地方に残っている味噌玉を使った豆味噌から発展したと考えることで ある。

 このような見解に立つと、現在の米味噌や麦味噌は、豆味噌の風味を改良するために米や大麦を添加するようになったことになる。ただ、薬草とか香辛料を添加した味噌が主流にならなかったことは特筆するべきである。時代は下がって室町時代に、覚心和尚が持ち帰った金山寺味噌が一世を風靡する。これが味噌・醤油のルーツとする見解もあるが、時代的にも製品的にも無理がある。商業生産の先駆けになったと みなすべきであ る。

 味噌が示したいちばん大きな変化は、用途の変化、すなわち味噌汁の普及である。それまで味噌は、魚や野菜を味付けする調味料とか、嘗め味噌と呼ばれるようにおかずにされていた。味噌汁は平安時代には一部で始まっていたが、庶民に普及するのは室町時代から江戸時代 にかけてである。当初は納豆汁とも競合したが、味・香りに勝る味噌汁が定着する。味噌汁が普及した反面、おかずや味噌だれとしての利用が伸び悩んだこともあって、味噌は味噌汁の材料のようになっていく。この頃には米味噌が主流になっていた。そして戦後には、米味噌が赤色系から淡色系へと変化する。更に味噌の食塩濃度が急速に減少する。

 味噌汁は今、主婦が毎日作り続けることができるかが問われている。熱湯を注ぐだけの味噌汁になる可能性がある。

変化が語る日本人の嗜好
 薬草や香辛料が入った大豆発酵食品も伝搬したはずであるが、これを採用せず、その後も加えなかったことは、淡泊な味を好むためと考えられる。

 米味噌が赤色系から淡色系に変わったことは、味噌の専門家には評判が悪い。味・香りが赤色系の方が優れているからである。しかし、味噌の味・香りよりも、味噌汁の具材の風味を活かすことを選択したと考えられる。

 味噌の低塩化は日本人の嗜好というよりも、栄養指導が人々の嗜好を変化させた例である。