ご飯


ご飯の歴史
 稲も中国から伝わった。中国語で「飯」というのは食事という意味であるが、ご飯はこれからの転化であろう。稲は縄文時代にも伝来したことが分かっているが、あまり普及はしなかった。定着したのは弥生時代である。日本人が持 ち帰ったのではなく、渡来人が水田栽培技術を携えて持って来たのであろう。日本に伝わったのはジャポニカ米だけのように言われるが、繰り返し伝来した中には、インディカ米もあり、赤米も香り米もあったと思われる。その中から、栽培もしやすく、日本人の嗜好にもあったジャポニカ米が受け入れられたと考えるのが自然である。稲の改良は耐病性、耐冷性、収量の向上などに向けられていたが、
20世紀になってから良食味米に向けられるようになる。こしひかりに代表される良食味米は、粘りのある米である。

 伝来当初は玄米を食べた。当時は焼き米にするか、土器に玄米と水を入れて茹でたので、余ったお湯は捨てる湯取り法だったかお粥だったと考えられている。ところが、古墳時代になると、蒸す方法に変わる。そして中世に再び炊飯に変わる。はじめは湯取り法だったのか、この頃には炊きあがると米に水を吸収させる炊き干し法になった。炊き干し法になると、大きな蓋の付いたお釜が使われるようになった。玄米を精米して白米を用いるようになったのは、上流階級では早くから始まっていたが、庶民にまで広がるのは江戸時代である。白いご飯になっても味付けはせず、 米と水だけで炊き上げるご飯が最高と認識されてきた。

 1955年に自動炊飯器が開発され、日本の台所から次第にかまどが消える。自動炊飯器の性能も次第に向上し、こしひかりに代表される良食味米が容易に炊飯できるようになった。その結果、日本のお米であるジャポニカ米が世界の中で比重を増しつつある。

変化が語る日本人の嗜好
 ジャポニカ米の選択、炊き干し法の採用、良食味米の育種方向は、軟らかくて粘りのあるご飯を好む日本人の努力の軌跡である。

 炊飯の時に米以外は水しか加えないので、香りが淡く真っ白なご飯になる。味付けご飯もあるが、これらは基本的に余りご飯の利用法である。米についても、素材の中に真味を求めている。