トップページ

食品の摂取は本来危険を伴う


 食べ物といえども、人にとっては異物である。人が食べている植物や動物は、人のためにこの世に存在しているのではない。また、食用作物と非食用作物 の区別は自然(神様)が決めたことではなく、人間が分類しているにすぎない。動くことができない植物は 、動物にむやみに食べられないような仕組みを持っている。その仕組みの一つは毒性物質を持つことである。 

食べ物は人にとって異物なので、食べる際に警戒するのが当たり前である。古い時代ほど、食べ物を前にすると、人はそれが安全かどうかを目や鼻をはじめ五感を働かせて慎重に確認した。 嚥下した後も、視床下部の一部である扁桃体で味や匂い情報から安全かどうかを察知する。危険と判断した場合は嚥下を止めて吐き出す仕組みが人には備わっている。扁桃体はおいしいかどうか判断する器官として知られているが、危険かどうかの判断が優先する。また、これまでに食べたことのない植物や動物を食べるに際しては、人には新規恐怖が備わっている。 

人類は安全に食べるためにいろいろな工夫をしてきた。食材の全体を食べるのではなく、食べ易い部分を寄り分けて食べている。有害物質を含んだ植物は、水を使用して有害成分を洗い流して食べられるようにした。安全に食べられる食材でもすぐに劣化するので、劣化を抑えるために乾燥・塩蔵・燻製・発酵などの保存法を開発して、長く安全に食べられるように工夫した。腐敗が進みかけた食材は、火で加熱することにより減菌してから食べた。 

狩猟採集から農耕牧畜への移行は、安定的な食料確保が主な目的であったが、安全性確保の視点でみると、リスクが小さい動植物の中から栽培・飼育し易い対象を選択したといえる。栽培・飼育が始まると、これを育種で改良し、自然界のままのものより食べやすくした。この中には当然リスクを小さくすることも含んでいた。こうしてみると、自然のものが安全と 考えられているのはむしろ不思議な常識である。

(2012年8月作成)