食品安全安心研究所に戻る 安全性の議論が始まると、直ぐにリスクが語られる。日常生活でリスクが話題になることは少ないこともあり、食の安全・安心のリスコミなどに出掛けると、専門家が「リスクが・・・」「リスクが・・・」と繰り返すので、面食らう人が多い 。 工業分野では安全を「受容できないリスクがないこと」と定義し、そのうえで安全は「リスクを許容可能なレベルまで低減させることで達成できる」としている。この定義をここで引用したのは、安全を説明するのに危険ではなくリスクを使用しているためである。安全性を理解するのには、現在ではリスクを使用するのが一般的である。 リスクが採用される背景には、物質を安全なものと危険なものに単純には分類できないという考え方がある。この考え方を説明するのによく引用されるのが、16世紀スイスのパラケルススの言葉と される「すべての物質は有害であり、有害であるか無害であるかは用いる量により決まる」である。 リスクの定義を食品安全委員会の用語解説でみると、「食品中にハザードが存在する結果として生じる人の健康に悪影響が起きる可能性とその程度(健康への悪影響が発生する確率と影響の程度)です」となっており、この定義が広く受け入れられている。 上の定義では、健康への悪影響の程度だけでなく、起きる可能性(発生する確率)を含めている。安全性の議論になると安全か危険かの白黒二分になり勝ちであるが、リスクの概念では危害が起きる可能性とその程度で表す。この表現が正しいとしても、リスクは既に専門用語的であり、 十分に理解していない国民も多いことに留意する必要がある。たとえばゼロリスクを論ずるのは専門家であり、国民は100%安全かどうかを問題にする。 安全性の議論の際、国民に分かり易く説明するためには、安全か危険かで回答するよう求められる。このために、専門家もしばしば「安全です」と説明する。単に「安全です」とい うと、リスクがないことを保証していると誤解されてしまう。この辺に議論の混乱の一因がある。「安全です」と説明するなら、「ただしリスクはあります」と付け加えないといけないし、 分かり難いと言われても、安全という言葉は使用せず「リスクは十分に低い」と説明しなければならない。 さて、ゼロリスクとは何だろうか。食品安全委員会の定義を読み替えると、 ゼロリスクが取り分けあり得ないと思うのは、食品に付着・生息している微生物である。この中には、食中毒菌も含まれる。新鮮で綺麗な食材も例外なく微生物が付着している。手や包丁・まな板も水で洗ったくらいでなくなるわけがない。微生物を完全になくするには、120℃で10分間加熱する必要がある。それでは新鮮な食品ではなくなる。少数の微生物が付着していても安全とみなすしかない。 最後に、効用とリスクについて説明しておく。効用を獲得するためにはリスクを負わなければならないという考え方である。薬や自動車の例を挙げると分かり易い。病気の治療という効用を得るためには多少の副作用は許容できる。ゼロリスクに近いけれども効用はないプラセボよりも、小さなリスクはあ っても効用の期待できる薬を選択する。また、車は大変便利な道具である。法定の時速60kmで車を走らせても、歩行者にも運転者にもかなりのリスクがある。ゼロリスクを実現するためには、車を動かさないようにするしかない。しかしながら、現在は時速60kmものスピードで車を走らせるというリスクの高い社会を選択している。食品が薬や自動車と異なるのは、摂取しないという選択がないことである。しかし、食品の摂取にも栄養の確保と食べる歓びという効用がある。非常に小さなリスクであれば許容するのが現実的である。 |