食品の安全性の議論の場では、科学的根拠に基づいて安全施策が推進されていると主張される。中 でも安全性試験がいちばん進んでいる食品添加物では安全性が科学的に立証されていると主張する人も少なくない。これは本当だろうか。 安全とは危険がないこととすると、安全性を科学的に立証するためには、未知の危害も含めて全ての危害を挙げ、そのリスクがゼロであることを明らかにしなければならない。そんなことできるはずがない。 安全とはリスクが受容レベル以下であることと するのが妥当であるが、そうだとぢても、食品添加物の安全性を科学的に立証することは実際には不可能である。 多項目に亘る安全性試験を実施し公的機関の審査をパスしたのだから、安全性が証明された、と主張する人もいる。この主張は、それなりに説得力がある。しかし、前提条件を省略している。課せられている安全性試験は科学的に安全性を証明するためではなく、上市するに当たっての必要最小限の試験にすぎない。その証拠に、審査を経て上市された食品添加物でも、リスクの存在を示す新しい情報が出てくると禁止されることがある。審査を経たことは反論にはならない。 一般に安全と言っているのは、受容できないリスクの存在を科学的に立証できないことである。 問題は、リスクが存在するという仮定が棄却されなければ、リスクはないとみなすことであり、安全性試験がいい加減なほどリスクが存在するという仮説が棄却され難くなることである。リスク評価機関はどこも慎重な言い回しをする。たとえば、食品安全委員会は「健康に悪影響を及ぼす恐れのあることを示す情報が確認できない」などと表現する。この回りくどい表現が安全と言い換えられる。アメリカのFDAが認定するGRASを直訳すると、一般に安全と認められる(Generally Recognized as Safe)という意味で、安全と言っているわけではない。FDAが出す通知は「当局は御社の結論に対し現時点では疑問を持たない」である。この通知を根拠に、安全性が証明されたと主張している。 付け加えると、広く流通していて普通に食べられている食品すなわち一般食品も、科学的に安全性が立証されたものはない。食経験があるという経験則で安全とみなしているにすぎない。代表的な食品である小麦、牛乳、卵はリスクが立証されたので、アレルギー食品として表示が義務付けられ た。単純系である化学物質でも安全性が立証できないのだから、複雑系である普通の食品では科学的根拠に基づいて安全性を立証すること はできるはずがない。そのためか、はじめから安全性試験をすることも放棄している。 繰り返すと、科学的に立証できるのはリスクの存在であって、リスクが存在しないことではない。 |