安全安心において安全を重視する人の多くは、安心は消費者の主観的判断で安全は科学的根拠に基づく客観的判断と主張している。この主張は食品分野だけでなく 、他の分野でも広く転開されている。 しかしながら、主観的判断と客観的判断の比較という構図に仕立てることによって、安心が個人の我儘と理解されるように仕向けている。事はそれほど単純ではない。 「消費者の主観」論に対し指摘されるべきことに、消費者の一人一人は個人であるが、集団としては(それが日本人全体であれば)国民だという事実がある。つまり、個人が持つ主観の面だけを取り上げて、国民が示す意識の面を無視している。 両者の違いは、アンケート調査を例にすると分かり易い。アンケート調査の回答用紙に記入されている内容は、記入者個人の主観的な判断である。一方、回答内容を集計した結果は集団の意識であり、調査が世論調査のような本格的なものであれば 、国民の意識となる。つまり、安心には個人の主観の面と国民(集団)の意識の面がある。そして、アンケート調査結果は通常集計して公表される。 国民の意識は、すなわち民意である。そして、国民の意識には国民の安心も含まれるので、国民の安心は民意といえる。民主的な社会は民意で動いており、民意を反映するためには、科学的根拠に基づく判断と多少の不整合があっても止むを得ない。みんなの意見は案外正しいのである。 専門家からみると、国民世論はしばしば衆愚にみえる。これに関し日頃感じているのは、大都市圏の現在の知事さんにはバカが少なくない。中央政府が賢人会議を開いて、そこで知事さんを選任する方が県民は幸せになると思ってしまう。ところが長い目でみると、このバカ知事方式が結局は県民を幸せにすると信じられている。それと同じである。 念のために付け加えておくと、専門家はしばしば村社会を形成する。客観的な判断と自負していても、外からみると村の掟で歪められていることが少なくない。日本食品衛生学会に出掛けても、食品衛生村の匂いがする。 |