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食の安全・安心で話題となることが多いのは、食品添加物と農薬に代表される化学物質と新規性のある食品である。このうち化学物質に対する対応策は、化学物質が単純系なので安全性試験法も確立していることから、解決の方向が見えてき た。一方、新規性のある食品は複雑系であり、 実質的同等性の概念が提案されているものの、安全性試験法が確立しているとは言い難い。特に日本では、規制が混乱したままである。
新規性のある食品対する安心が問題になり易いのは、人間には食について新規恐怖が備わっているためである。 動物は限られた物しか食べないものが多い。雑食性の人間といえども、新しい食材に対し警戒するのは当然である。新しい食材が導入された歴史を紐解くと、しばしば健康効果を標榜してこの新規恐怖を克服している。
日本では、新規性のある食品を新開発食品として規制している。つまり、食品衛生法第7条(新開発食品の販売禁止) において「一般に飲食に供されることがなかった物であって人の健康を損なうおそれがない旨確証のないもの」と規定している。新開発食品は「食経験がない食品」と言い換えられることもある。
新開発食品の規定が問題なのは、これが非常に限定的に捉えられていることである。極端にいうと「某国で食べていた」だけで食経験があると主張でき、新開発食品でないとされる。これまでにこの条文を根拠に販売が禁止されたのはアマメシバの一例のみである。この条文を根拠に安全性を審査した例はない。筆者が安全不安食品と名付けている、照射食品・微生物タンパク・組換え食品・クローン牛は、国民から新規性のある食品と理解されているけれども、新開発食品ではない。その一方で、国民の声に配慮して特別な規制措置が講じられてきた。
もし開発中の食品が新開発食品に指定されると、日本では禁止されたのも同然なので、企業は間違いなく開発を中止にする。人件費と研究費をかけて試験を実施して 安全性を確認しても、消費者から安全性に問題があるとして追及され、上市できないことが分かっているからである。
一方、同じように新規性のある食品であることが多い、いわゆる健康食品はどういうわけか公による安全性審査を免除して、民間団体での安全性審査に委ねている。公が関与するのは、事件が起きてからである。言うまでもなく、いわゆる健康食品は食中毒に次いで健康被害を生じさせている代表的な原因物質である。
食品安全委員会には新開発食品専門調査会が設けられている。この調査会は主に特定保健用食品の安全性審査を担当している。特定保健用食品が新開発食品に指定されたからではない。特定保健用食品の根拠法令は健康増進法である。念のために付け加えると、組換え食品には遺伝子組換え食品等専門調査会という 特別な調査会が設置されている。この複雑さは、新開発食品行政の混乱を物語っている。
新規性のある食品を幅広く捉え、広く安全性を審査するべきである。新規性のある食品を、たとえば新規食品と名付け、従前の食品と違うところあれば新規食品に含める。ここには 消費実績の少ない食品、新しい資源を原料にした食品、さらには新しい手法で加工・処理された食品も含まれる。
ここで大切なことは、新規食品は審査しても問題がなければ認可され、認可されると上市できる仕組みを構築することである。審査が始まると認可は極めて困難であり、認可されても上市を断念せざるを得ない仕組みだと、システムは必ず形骸化する。
上の意見には、見本がある。EUの新規食品(Novel Foods)制度であり、イギリスのACNFP(Advisory Committee Novel Foods and Processes)の活動である。ACNFPには現役時代に訪問した経験がある。そこには多数の審査例があり、一部は認可され一部は棄却されていた。彼我の違いには驚かされた。
最後に強調したいことは、安全性審査は本来、食品事業者が自主的にリスク管理機関に相談するところから始まるべきである。 お役所が指定することから始まる現行の新開発食品制度の重要な欠陥はここにある。アメリカのFDAを訪問した時、担当者は食品事業者と連携を密にしていると何回も話していることが印象的であった。 アメリカでは組換え食品も事業者が自主的にFDAに持ち込んでいる。そして認可され、上市された。食品事業者は開発中の製品に新規性があるかもしれないと感じたらリスク管理機関に相談する。相談を受けたリスク管理機関は必要な措置を指示する。その中には実施すべき安全性試験が含まれ 、これを踏まえてリスク評価機関による安全性審査が行われる。リスク管理機関に相談して上市した新規食品で不幸にして事件が起きた場合は、食品事業者とリスク管理機関との共同責任である。相談なしに上市して事件を起こすと、 その責任は全て食品事業者にあり、相談しなかったことも含めて、その責任が厳しく問われるべきである。 (2012年8月作成) |